最強ブラスロック
最強ブラスロック

最強ブラスロック

2000年前後の年、大阪にブラスロックの最強バンドがいました。
非メジャーながら、クアトロワンマンは毎回満員ソールドアウト。
メジャーデビュー後は、BIGCATや、ON AIR OSAKAの1000前後のキャパのワンマンも常に満員ソールドアウト。
おそらく、大阪シーンの伝説的動員バンドでした。

mixiにも書いたけど、土曜日は、そんな我が永遠のカリスマバンドhot hip trampline schoolのワンマンライブに行ってきました。

間違いなく、オレの人生に最も影響を与えたバンドです。
トランポリンのライブは21歳の僕には刺激が強すぎました。
元スカパラの冷牟田さんプロデュースでメジャーデビューが決まった1999年でした。
ひょんなきっかけで、一晩だけローディめいたお手伝いをする事になりました。

それで、楽しかったなぁ!と思ってたら、スミさんの「じゃ、ゴウシ、次は○○日な!」
当時、まぁ、今で言うニートだった僕は、二つ返事でOK出しました!
で、二回目のローディ。確か、道頓堀のクラブで、メジャーデビュー前の、EGO-WRAPPIN’と対バンでした。
EGO-WRAPPIN’のLOVE SONGって曲をトランポリンのホーン隊が演奏するって流れで、その時は気を抜いて、押し寄せるお客さんにまみれて、自分も最前列で、楽しく演奏を見てたら、演奏後「お前が楽しんでどうするねん。お客が押し寄せないように前でガードしろよ」とスミさんに怒られました。
以来、まだメンバー全員を僕は恐れていますw

ローディになり即効で「オレも、管楽器やりたい。」となり、FUNKだJAZZだSOULだの全く無知で、やりたくても曲とか作り方わからんくて、ほんまは、CLUBとかでオシャレな音楽やりたかったけど、なんとなく当時ブームだったSKAパンクシーンに紛れ込むことに決めました。
でも、SKAパンク自体が、あまり体にしっくりこなかったので、頑なにギターは裏打ちは避け、高速カッティングで勝負だ!という、ブラス系ガレージロックという歌い文句にしました。今は亡き茶番「ガミハナーズ」でした。

気付けば9年。
ほんまに、良い遊びや、悪い遊び、良い音楽、悪い音楽、今の僕を構成する全てがhot hip trampoline schoolから受け継いだものです。
ミーハーですが、EGO-WRAPPIN’やSUPER BUTTER DOGやPE’Zも、ブレイクする前に対バンが何度もあったので、数えられないくらい見る事が出来たし、スカパラやKEMURIやBLACK BOTTOM BRASS BANDなどの大御所の方のライブもたくさん見る事が出来た。本当に、青春時代の20代に、良い経験をさせてもらいました。

で、そんなトランポリンですが、2001年12月に活動休止し、2004年に復活宣言してからは、年間片手くらいの量のライブしかしておりません。

で、日曜日数ヶ月ぶりのライブ。でもってワンマンライブ。
聞けば当然ながら、この日の為に出来たリハの回数、数回。
正直、ローディながら結構心配したりもしてました。

が。

蓋を開けてみたら、やはりトランポリンは最強でした。
もはや、殿堂に入ってしまってるようです。
たまに、出てこられても、最強のライブをしていきはります。

こりゃ、僕らカルメラ、いくら同じくブラスロックをかかげても、天地の差ですわ。
勝ち目なんかありゃしません。と結論が出ました(汗)
違うベクトルで頑張るしかないですね!

シカゴ、ブラッド・スウェット&ティアーズ、タワー・オブ・パワー、チェイス等は、向こうではブラスロックと呼ばれてた様ですが、日本で「ブラスロック」と自分達で名乗りはじめたのは、トランポリンではないでしょうか??

いくら年を重ねたところで、仮に解散になってしまっても、今後トランポリンを超えるブラスロックは日本には出てこないでしょう。
間違いないです。

次回もライブちゃんとありますように!!

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