空前の「トイレの神様」ブームですが、この曲、松屋で飯食ってるときに優先で初めて聞いて、その時になぜか優先にめちゃ耳が行って、「印象強い曲やな」
と思ってなんなら歌詞までちょっと覚えてて、また後日、別の場所の優先で二回目に聞いた時に「あ、またこの曲や」と思いました。
それが、どんどん「あ、またこの曲や」となっていき、今に至る感じです。
ちなみに、「千の風にのって」の時も、有線か何かで初めて耳にした段階で、ある程度歌詞を覚えるほどの印象でした。
そういえば、森山直太郎さんの「さくら」も、同じような具合でした。
どの曲も、同様に有線からジワジワしんとうして、発売日から日付が経過してのロングヒット。
僕の印象だけではなく、世間の人の多くが同じような印象をもったが故の結果なのでしょうね。
メディア操作によるヒットではなく、良いと思った人がジワジワ増えてきたパターンのヒットの仕方。
(もちろん拍車を掛ける要素にメディアはあると思いますが)
くしくも、いわゆるJ-POPと呼ばれるジャンルの多くの良さを理解する能力が極めて薄くなってしまっている僕は、トイレの神様のヒットの特集のテレビ番組の中でライブを見に来てるお客さんが涙している姿を見て
「はいはい。意味がわかりません。」と悪い癖で、最初は正直色メガネで見てましたが、
番組で歌う植村花菜さんの姿を見て、気づけば涙がポタポタ流れてる自分に気づきました。
音楽的に、この原理は一体何なのかを考えてみたのですが、歌い手の歌唱力、良い楽曲であることは必須ですが、なにより一番は心に響く歌詞だと思いました。
世の中には数え切れないほどたくさんの楽曲があって、たくさんの詩が乗っかってますが、スゴ腕のクオリティの作詞家だろうがアマチュアミュージシャンだろうが、作詞をした人が、たとえばゴロが良いだとか、こういうメッセージを込めるのがカッコイイ、もしくはそれっぽい。
とか、こんな創作話が素敵やと思う。今伝えたいことはなんだろう?と考えた後に、作った歌詞。
そのような、さまざまの邪念(言葉悪いけど)が入った状態で作られた歌詞と、作詞がが「まずこの事をどうしてもを伝えたい」という気持ちが先行して、並べていった歌詞とでは、同じ言葉、同じ文字を並べたとしても、もつパワーが絶対に違うんだと思う。
そして、上記した3曲は、間違いなく後者なんだと思う。
これはおそらく科学的には解明できない論理だと思います。
あくまで僕の考えですが。
その様な詞は、人の心に必ず届くべくして届くんだろうなと思う、インストバンド「カルメラ」の僕でした。
「トイレの神様」のAメロは、中島みゆきさんの「糸」に非常に似てて、「糸」もすごく好きな楽曲なんで、なんだかんだでメロディとの関係性もあるような気もします。
それが分かれば、もう一つ何かが見えるような…。